この旅の最後の訪問先は、『平山郁夫シルクロード美術館』です。

平山郁夫といえば、現代の国民的日本画家としてその名を知らぬ人はいないでしょうが、残念ながら2009年に亡くなられました。
新聞でも雑誌でも、テレビでもラジオでも、「シルクロード」という言葉が出てくれば、殆どそれと“対”のように平山画伯の名前が出てくるほど我々には馴染みが深く、その一生は「シルクロード」と強く結びついていたわけです。
僕も、様々な場面で氏の絵を目にするので凄く身近に感じていましたが、考えてみれば、本物をまとめて見るのは初めてのことです。
とにかく昭和43年以来、140回以上に亘ってシルクロードを訪れているといいますから、その執念たるや想像を絶します。
「日本文化の源流を求めて・・・」なんて解説には書かれていますが、絵描きとして余程心を捉えられる何かを感じたのでしょうねぇ。
今回は「平山郁夫 世界遺産 高句麗古墳を描く」という企画をやっており、高句麗古墳の壁画を再現して描いています。しかも、東京藝大が初めて取得したという特許技術を用いての復元絵画初公開ということなので、墓室に描かれた四神も中々興味深く見学できました。
氏が集めたという東アジアの石仏・金銅仏などの展示も感動しましたが、なんといっても2階展示室の「大シルクロードシリーズ」は圧巻でした。
太陽の昼と月の夜のキャラバンの様子を描いた四曲屏風の連作が左右に堂々と飾られて、見る者を圧倒します。
学芸員の女性でしょうか、じっと見入る僕たちの傍に来て、絵の説明のみならず、ここに来たときの平山画伯の様子なども、親切にお話ししてくださいました。
色の作り方や重ね方は決して誰にも教えなかったそうですが、いずれにせよ、こうした大作を描ききるエネルギーには感服せざるを得ません。
たった2日間でしたが、天候にも恵まれて中味の濃い旅ができました。
この旅で、「清里はすてきだ!」という印象が僕たちに刷り込まれたので、今度は早速、向日葵の咲く賑やかな夏に行こうと考えています。
さて今日は、季節は外れてしまいましたが「椿」の絵です。椿の時期に描いた何点かの絵の中で、僕が一番気に入っていた物です。
椿
金環日食を見ましたか?
わが家の物干台からは、薄雲がかかっていたおかげで肉眼で眺めることができました。
今回のように、列島の広範囲で見られるのは平安時代以来だなんていわれると、たとえ天体に興味が無くとも見てしまいますねぇ。
天体ショーといえば、先日の清里旅行で泊った「清里高原ホテル」には天文台があるのです。

そこで星空の観測を解説付きで楽しめるというので、酔い覚ましのつもりで参加しました。
変なイントネーションで喋る若い女の子の解説を聞きながら、天体望遠鏡なるものを初めて覗いて「へ~!」と感心したり、金星が消える瞬間を確認して「ナルホド、地球は自転してるんだ!」と感動したり・・・それなりに楽しめました。
特にロマンチックでも詩的でもない性格なので、今まで夜空を眺めて流れ星を数えるとか星座を覚えるなどという趣味を持たず生活してきました。でも若い頃から、星空に詳しい同級生とかを秘かに畏敬してはいたのです。
この歳になってやっと、“森羅万象”あらゆる事物や現象に素直に反応できるようになりました。
翌朝、「美し森」の展望台まで上り、八ヶ岳と眼下の景色とを堪能しました。

途中「森林ウォーク」なども楽しみながら、次に「萌木の村」へ向かいました。
この施設の一角にある「ホール・オブ・ホールズ」というオルゴール博物館がお目当ての場所です。乃里子さんはオルゴールが好きで、「いつか大型のオルゴールを手に入れたい!」というのが若い頃からの夢なのです。
ここに展示されているオルゴールを見学するのが目的で、あわよくば音色を聞かせてもらえるかもしれない、と思って訪ねたのですが・・・なんと!開館25周年とかで、「オルゴールとピアニストとの饗宴」という企画に偶然出くわしたのです。

ピアニストは成尾亜矢子さん。容姿端麗!それもそのはず準ミス日本だったのですから・・・!
美しいうえにピアノも上手い、さらに解説も演劇を見ているようで堂に入っています。その人が僕たち二人だけのためにショパンのノクターン20番を演奏してくれたのです。
平日の午前中1回目の公演だったので、幸運にも客は二人だけでしたが、次の会は会場満席だったので、本当にラッキーでした。
さらに、「お二人だから特別に・・・」と、チッカリング社のピアノ自動演奏機でマスカーニ演奏の「アヴェマリア」を聴かせてもらえたのも良い思い出になりました。
この旅は色々な場面で+αがあり、“幸運”が寄り添っていたような気がします。
薔薇
清春芸術村のレストランでチキンカレーを食べ、次に「清里フォトアートミュージアム」を目指したのですが、途中141号線を左に折れたあたりから、迷ったのかと不安になるような(牛小屋しか見えない)道を走って、漸く到着しました。

駆出し者とはいえ、写真に興味を持つ人間にとって、ここは素通りできない場所なので立ち寄ったわけです。
やっていた展覧会は、『2011年度ヤング・ポートフォリオ』。
この企画は、「若い作家に勇気を与えたい!」という写真美術館の基本理念を実践するため、1995年から毎年行なわれている企画で、“才能ある若者の作品を世に出すために発表の場を与え、優秀な作品を買い上げる”という画期的な催しです。
「やっぱりポートレイトの作品に魅かれるな~!」などと若者達の作品に感心しながら見学した後、写真を撮りに行きたくても儘ならない状況の友人にお土産を買い、次の目的地に向かいました。
「清里現代美術館」。
牧場通りを走りながら、ついつい通り過ぎてしまったほどの目立たない場所にあります。しかし、ここはあまり期待していなかっただけに(ゴメンナサイ)“良い誤算”であったと旅を振り返って思っています。
この美術館は「清里」なんて名前が付いていますが、全くの個人美術館で、伊藤さんというご兄弟が蒐集された膨大な作品や資料を展示・公開しているのです。

現代美術という分野には疎い僕でも知っているデュシャンやライナーの作品も展示してあり、その世界では“知る人ぞ知る”場所のようです。
それよりなにより、色々とお話を聞かせてくださったオーナー兄弟の、現代美術の知識とそれに寄せる情熱には圧倒されました。
「私達も歳なので、残念ながらあと4~5年でここも閉鎖しなければなりません!」と、無念そうに行政の無理解(詳しい事情は分かりませんが・・・)を嘆いてもおられました。
もしこうした場所が姿を消し、貴重な作品群が海外へ流出する状況を食い止められないのであれば、それは大変残念なことです。
「何か手立ては無いものか・・・」と、考えても詮無いことと思いつつ、今日の宿舎へ向かったのでした。
ひめうつぎ
この清春芸術村にはもう一つ美術館があります。
『光の美術館 クラーベ・ギャルリー』です。
この小さな建物は、建築家安藤忠雄さんの設計で、昨年の4月に開館しました。
天窓から館内に差し込む自然の光だけで作品を鑑賞するという設計になっているので、開館当時は話題になったことを覚えています。差し込む光の加減で作品の表情が変化する・・・というのが特徴だそうです。
ここには、若き日の吉井さんがサントロペにあるアントニ・クラーベのアトリエを訪ね、東京での個展を依頼した頃からの作品があります。
中でも、約束をしてから二年以上も待ったという大作『ポワン・ルージュ(赤い点)』が展示してあり、それを見られたのは幸運でした。
3.6m×2mの画面のどこに「赤い点」を置くかを毎日捜し、二年経過して漸く置く場所が見つかったという作品です。途方も無い話ですね~!
光の美術館を出て、次に向かったのは『梅原龍三郎アトリエ』です。
梅原とは、吉井さんがパリ遊学時代に親しくなり、画商のあり方についても・・・「大家の作品は非常に高価だ。それらを苦労して求めるより、本心から自分が手元に置きたいと思う絵を手に入れることが大切だ。名前にとらわれてはいけない。」・・・と助言をもらった時代からの付き合いで、そうした縁から新宿にあった梅原のアトリエをこの芸術村に移築したそうです。

中に入って見学することはできないので、乃里子さんはガラス戸に顔をくっつけて見入っています。
墨絵の縛りから抜け出そうと模索していた時期に、梅原の絵から沢山のヒントやインスピレーションを受けて色を使うようになったわけですから、思い入れは相当のものがあるのでしょう。感嘆の声をあげながらじっと覗き込んでいました。
広場に出て見渡せば、一本足の茶室『徹』の向うに、雪を残した八ヶ岳が美しく聳えていました。

さて、今日見ていただく絵は、上に記したように墨絵から脱皮して色を使いはじめた時期のものです。
初めて描いた薔薇の絵・・・時の流れを感じます。
薔薇(1990画集の表紙)
清春芸術村といえば、その中心は「清春白樺美術館」でしょう。
吉井さんが画商になったのは、ジョルジュ・ルオーの一枚の絵『ピエロ』との出会いがきっかけであり、そのルオーの存在を通して画家の梅原龍三郎や中川一政、白樺派の文学者である武者小路実篤や志賀直哉らと親交を持ち、日本と仏蘭西との文化の橋渡しをするような一流の画商へと歩んで行くのです。
従って、「自分の人生は、すべてルオーが導いてくれた!」という思いが強く、その思いたるや孫に「瑠央(ルオー)」と名付けたほどですから、推して知るべしです。
という訳で、この美術館にはジョルジュ・ルオーコレクションの展示室があり、そこにわが国に最初に入ったルオーの油絵『裸婦』が飾られていました。
この作品を日本に持ち込んだのが梅原龍三郎であったということを、寡聞にして僕は知りませんでしたし、そんなことよりルオーの原画をこんなにまとめて目の当たりにできたことに大変興奮しました。
その他にも、白樺派に関わる人たちの書簡や、珍しい武者小路実篤の油絵などが展示されていましたが、現在この美術館では『ベルナール・カトラン回顧展』が開催されています。

残念ながら2004年に亡くなりましたが、今では“色彩の画家”と呼ばれ多くのファンを持つカトランを、世に送り出したのは吉井さんでしょう。
若き日の吉井長三がパリ画壇の新進画家カトランに出会い、2年後に日本での個展が実現したのです。熱心なカトラン愛好家が増えたのはそれ以降のことです。
この、花を描く画家の作品はリトグラフも多く出ているので、目にする機会も多いのですが、僕はずっと女性だと勘違いしていました。作品のナイーブさや色彩の組み合わせ方などを見れば、まさか男性だとは思いませんでした。
カトランの展覧会を見たのは初めてだったのですが、今回偶然にも出会いがあり、その美しい色合いと簡略化された形に魅せられました。
もちろん「花」の作品もいいのですが、僕は『俳諧十撰』という俳句の世界をイメージで描いた風景画に強く惹かれました。
有意義な時間を過ごし美術館を出ると、白樺の木々の向こうに「ルオー礼拝堂」がありました。

その入口の扉の上にはルオー本人が制作したステンドグラス「ブーケ」があり、このステンドグラスからの光に満たされた小さな礼拝堂の椅子に腰掛け、吉井さんがルオーの絵から受けた“衝撃的な感動”とは一体どれほどのものだったのか・・・と思いを巡らせました。
薔薇
以前、日本を代表する画商である「吉井画廊」の吉井長三さんが書いた『銀座画廊物語ー日本一の画商人生ー』を読んでから、どうしても一度「清春芸術村」に行きたいと思っていました。
昨日の朝家を出て、一路山梨県の北杜市を目指して直走り、迷いもせず無事目的地に付きました。実にカーナビとは便利な物ですね~、僕のような方向音痴でもしっかり導いてくれます。
さて、この「清春芸術村」は、廃校になった小学校の跡地に、吉井長三さんが私財を投じて1980年に開設された施設です。
国内外の芸術家たちの交流の場として、さらに若手芸術家たちの育成の場として作られた芸術村ですが、その象徴的な建物がこの集合アトリエ「ラ・リューシュ(蜂の巣)」です。

原型はモンパルナスにあったアトリエ・アパートで、シャガールやスーチンやモジリアニが暮らした所ですが、それと全く同じ物を、この清春の地に建設したわけです。
僕は、エッフェルが設計したこの不思議な建物の中に入れるものだとばかり思っていました。24ある部屋を、隈なく見てやろうと意気込んでいました。しかしそれは叶わず、エコール・ド・パリの素晴らしい画家たちを生み出したといっても過言ではないこの建物を、残念ながら外から眺めることしかできませんでした。
この芸術村の中には僕の興味を引くものが他にも色々あり、さらにこの二日間の旅全体でいえば思わぬ収穫が沢山あったので、明日からそれを順番に紹介していきたいと思います。
ナニワノイバラ
「今朝はヤモちゃんの姿が見えないけど、どこ行ったんだろう・・・?」
玄関脇の花壇に住みついているヤモリに情が移ったらしく、今では呼び方も「ヤモちゃん」になってしまいました。
僕も、胴のわりにデカい頭と、吸盤の付いた愛嬌ある足を毎日ながめていると、何だか可愛いなと思えてきたから不思議です。
動物は嫌いではありません。犬や猫は好きなのですが、しっかり世話する自信が無いので飼っていません。
子供の頃の家では飼っていました。ただ、商売をやっていたので、イヌは「客が去(イ)ぬ」に通じ縁起が悪いとされ、父はあまり積極的ではなかったようです。しかし、実権を握っていたのは犬好きで戌年生まれの母ですから、誰も文句は言えなかったのでしょう。
僕の記憶の最初に登場する犬は、「ホートク」と呼ばれていた雑種です。胸まで白い髭を伸ばした曽祖父が可愛がっていたのを覚えています。
それにしても「ホートク」とは変な名前でしょう!漢字で書くと「報徳」・・・戦時中に付けられた名前だそうですから、将に時代を象徴していますねぇ。
当時も、スピッツというよく吠える座敷犬がいましたが、大概はどの家も外で飼っていました。
しかも田舎のことで、犬を繋いだりしませんでしたから、小学校への登下校時にはよく追いかけられたものです。噛まれた友達は何人もいましたが、僕は犬に出くわすと、なるべく目を合わせないようにしてやり過ごしたので、難を逃れたわけです。
ギャラリーの前も、毎日犬を連れて散歩をする人達が行き来します。それを見ていると「飼いたいな~!」と思う時もありますが、昔と違い現代は色んな制約があるので、とても上手く飼える自信がありません。
まぁ、当分の間は「ヤモちゃん」と仲良くしたいと思っています。
柴犬
「おまけ」とか「付録」とか・・・好きですか?
少年時代の「おまけ」といって思い出すのは、富山の薬売りの紙風船やグリコのオモチャでしょうか・・・?
でも僕は岡山出身なので、やはり「カバヤ」ですね。キャラメルの箱の中の点数券50点集めると、少年少女文学全集から好きなものを1冊もらえたのです。
「付録」といえば、月刊少年誌の『冒険王』や『少年画報』を買った時に、本が膨らむほどの付録をドキドキしながら開けるのが楽しみでした。
特に、『少年画報』に連載していた桑田二郎の「まぼろし探偵」が好きだったので、付録の「少年探偵手帳」を手に入れたときは嬉しくて、今でもよく覚えています。「赤胴鈴之助」のバッジもカッコ良かったな~!
・・・なんでこんな話かといいますと、最近続けて嬉しい「おまけ」に出会って、ちょっと幸せな気分になったからです。
近頃では大人の読む雑誌でも、付録のついたものをしばしば見かけますが、先日のこと、雑誌『サライ』が「日本の作家百年の歩み」という特集を組んでいたので買って帰ったところ、特別付録の「万年筆」が付いていました。
まあ、たかが付録だからオモチャのようなものでしょう・・・と思って開いてみると、エボナイト風で中々良い見かけです。持ってみればほど良い重さ・・・、さらに書きやすい・・・。
880円の雑誌にこんな付録つけて採算が合うの・・・?と、余計な心配をしたくなるほどの物でした。

もう一つは、新潮文庫のカバー折り返しに付いているマークを集めて送ると、希望する賞品を送ってくれるというものです。
その中の「文豪リストウォッチ」というのが欲しくなって応募してみようと思い立ち、本棚から新潮文庫を抜き出しては、切取ったマークを50枚貼って送りました。こんなことしたの何十年ぶりだろ~!
忘れた頃に送られてきた腕時計は、短針の役割の丸い穴から、時間によって6人の文豪が顔を出す形式のものです。「おっ、太宰か!6時だな・・・」なんて感じです。
「こんな物は誰も持っていないだろうから、ロレックスよりも希少価値があるぞ!」と友人に自慢したら鼻で笑われましたが・・・。

いくつになっても、「おまけ」や「付録」はワクワクするものです・・・。
ナニワノイバラ
突然ですが、「マンボウ」をご覧になったことはありますか?
写真でではなく本物を・・・。
午前中、「魚とし」のご主人がやってきて、「面白い物を見せてあげよう!」と、軽トラの荷台からマンボウを持ち上げました。
いや~!驚きましたね~。水族館で不器用に泳ぐ姿は見たことがありますが、マンボウをこんなに間近に見たのは初めてです。

世の中にこんな変な魚がいたことを知ったのは十代の終わり頃です。しかも、“魚”として知ったのではなく、北杜夫の『ドクトルマンボウ航海記』というエッセイのタイトルからです。
とにかくこの本が面白かった!ユーモアに溢れていて、それまでの僕の読書体験の中では出会わなかった種類のものでした。
ここから北杜夫にはまり、以後約10年間「マンボウ」シリーズはもちろん、『夜と霧の隅で』・『楡家の人びと』・『白きたおやかな峰』などの純文学、北杜夫が強く影響を受けたドイツの文学者トーマス・マンの『魔の山』・『トニオ・クレーゲル』・『ヴェニスに死す』などを耽読し、さらには、北杜夫と交流があった遠藤周作や三浦朱門などの「第三の新人」と呼ばれた作家たちの作品へと広がってゆきました。
そうした意味で、僕にとっては忘れられない作家ですが、残念ながら昨年10月に亡くなってしまいました。
新聞で訃報を知った後、マンボウシリーズの中でも最も好きだった『ドクトルマンボウ青春記』を読み返そうと、本棚を探しましたが見当たりません。諦めて、先日文庫本を買ってきたのですが、机にツンドクになったままでした。
「魚とし」さんが、早く読むようにと知らせてくれたような気がしています。
ナニワノイバラ